読書

柄にも無くたまに本なぞ読みます。
しかも歴史小説とかです。

今日未明に読み終わったのは、浅田次郎の「壬生義士伝」。
明治維新頃の話。南部藩(盛岡)脱藩の足軽で、新撰組に入った吉村貫一郎を主人公、というよりテーマとした話。
話の最後で、吉村貫一郎の次男が盛岡へ帰ってくるシーンで終わる。次男は、貫一郎が脱藩した後に生まれて、父を全く知らない。そしてまだ幼い内に越後の豪農に引き取られてしまうので盛岡の記憶も朧なのであるが、やがて農学者となった彼が最後に盛岡の農学校へ赴任することとなり盛岡へ帰ってくるのだ。すべての原因でもあった飢饉を解消するために自ら研究、改良した米の新品種を持って。
岩手山を見上げて感慨にふけるそのシーンが、大阪で自刃し朦朧とする意識の中で最後に盛岡へ帰る夢を見た貫一郎とオーバーラップして泣けるのだ。

今朝、気温3℃の中出勤途中に白くなった岩手山を見てまた泣けてしまったよ。


そもそも、036の分際で本なぞ読むようになったのは、盛岡に来た時に「前九年」とか、昔歴史の教科書で見たような名前が地名になっていて、郷土の由来とかも含めて興味を持ったからなんですがね。その時読んだのは高橋克彦の「炎立つ」。
これは今から1000年も前の平安時代、依然朝廷の支配下とは言えなかった奥州に乗り込んだ源義家と、奥州を支配していた安倍貞任や安倍側に寝返って蝦夷の独立を目指し抵抗した藤原経清との戦い、いわゆる「前九年の役」から、経清の子孫が藤原を再興して奥州藤原三代となり、最後は頼朝に滅ぼされるまでの話。これも深かった。
地名の由来とか、当初のぬるい目的なんか最後にはどうでも良くなってしまったけど、「前九年の役」といういつ誰かつけたかわからん名前そのものが間違っていたと言う小ネタは得られました。
教科書には「前九年の役」と「後三年の役」とセットで出てきますが、元は「12年戦争」と言い、それを勘違いした人が「9年」と「3年」に分けてしまった。ところが、「12年戦争」というのはいわゆる「前九年の役」だけで、「後三年の役」の3年間は別にあったとか。


さらにそれと関連して同じ高橋克彦の「火怨」。前九年から遡ることさらに250年、坂上田村麻呂が征夷大将軍となって奥州の蝦夷をやっつけて日本を統一した(と教科書には書いてあるよね)ときの話。蝦夷側が舞台なので、アテルイ率いる蝦夷が朝廷軍に敗れる話。


なんだかまとまらなくなってしまったけど、引越を期にその土地に所縁のある話を読むといろいろ勉強になります。
わしのばやい、日本て言う国の成立ちに疑問を持つ結果になったけどね。あとは差別や宗教に対する考えが変わったかも。


ああ結局オチなし。


今日は急遽人の代わりで3000万円くらい。



ITOH Osamu/ Sachi/ Guest Book/ 036@itoh.gentei.org