朝、右ひざが痛いという。朝から?
幼稚園に行く前に熱測ったら、38.5とかあったらしい。当然お休みへ。
木曜日、星川今日は休みだ。
明日出発できるのか?
インフルだったら、強行しても車で移動中にわしらがくたばるんじゃないか?
ただ、亘は熱はあるが元気らしい。
今日は劇の予行演習の日だったらしく、いつも残念。
2000年代の後半だったか、TVドラマ化され話題になり、平積み売切れ続出だった。
ずっと気になっていたが、ようやく借りれる状態の図書館があり読むことができ
た。
明治初期の、割と軽い感じの小説かと思ったら、思いっきり日露戦争の歴史、超
硬派なやつだった。
というのは、作者司馬遼太郎もあとがきで触れている。書いている内に避けられ
なくなった的な事を。
有名な本なので読んだ人も多いだろうが、これをもって明治日本の成り立ち、日
新日露戦争の経緯、帝国陸軍の精神と太平洋戦争への屈折まで何となく理解がで
きる。
発表までは秘密とされていたであろう、乃木大将の実態とか。如何に陸軍がアホ
だったか、いや戦犯?戦犯ではないが失敗に付いて責任を負うべきは山縣有朋な
のか、長州閥というやつなのか、
しかしかなりはっきりとそういう書き方をしている一方で、非難されている人の
別の一面、良いとされている人間性にも触れ、客観性を保とうとしていることを
強く感じる。元新聞記者という作者の精神によるものだろうか。
それでも作者の主観をそれなりに引きずってまとめられているだろうから、そこ
は差し引いて受け取らなければならないだろう。
受け方によって非常に危険な思想とも言え、正しく噛み砕くことができない人が
読んでよいものかどうか。
これが産経新聞に連載された昭和40年代には、こういう論調(恐らく超マイナー
意見)でも適切なバランスだったのだろう。
日本の無責任体質は今も脈々と受け継がれており、その中で安倍という長州人が
日本を事実上率いている。いわゆる当時の藩閥を受け継いでいるとも見えないが、
なにか不穏な気分を禁じ得ない。
総合して、戦争というものを改めて考えた。
戦争そして逃れざる死が果たして本当に100%否定されるべきものなのか。
今の日本の状態においてはそうだろう。
正当化される戦争とは何か、何のために戦うのか。
つまるところ「やらなければやられる」という追い詰められた状況、そして「や
られる」ということが、国家存亡に関わり、命を懸けても守らなければならない
という状況においてのみ、立ち上がる理由がある。
そして、この状況において死ぬことは恐らく本人ももはや苦痛ではないし、送る
人も名誉と感じるだろう。
現代日本人はその想像力を決定的に欠いている。イスラム過激派などには、その
感覚があるということを。
国家の存亡。これが現代の世界にあるのだろうか。仮に「日本」でなくなってし
まう、どこかの国に併合されてしまったとして、「こんな国ではやっていけない、
人々のために、死んでも阻止しなければならない」という状況。
イスラム化するくらいなら死んだ方がマシなのか?
北朝鮮に侵略され、ジョンの奴隷になるくらいなら死んだ方がマシなのか?
ノラクラとその時勢に合わせて立ち回り、大きな不自由もなく乗り越えてきた人
たちもいる。我々にはそれだけの能力、素養もある。
一方で、それができたために悲惨な目に遭ってきた人も居る。敵国に馴染んでし
まっていた移民、ユダヤ人など。
自分の世界にしか馴染めない人が、どこでもうまくやっている人達を「搾取して
いる人」と見なして阻害しているだけなのではないか。
結論は「馬鹿は救いようがない」なんだろうな。
ああ、思考は止まらないが書くのは止める。
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